「心に平和を、みんなと仲良く」

8月、9月の幼稚園での宗教教育の課題が、「心に平和を、みんなと仲良く」ということで、広島と長崎の原爆投下から「平和の大切さ」を伝えらたらと考えました。それは「焼き場の前に立つ少年」に一つのヒント得たことがありました。教皇は1月1日の世界平和の日に、これまでも核兵器廃絶を呼び掛けており、改めて平和の願いを込めて、この「焼き場の前に立つ少年」の写真を全世界の人に配るようにと指示されました。教皇は、訪問先の南米に向かう機内でカードについて問われ、「写真を見て胸を打たれた。このような写真が千の言葉よりも多くを語る。だから分かち合いたいと思った」と語っています。こうして、日本の司教団も日本カトリック平和旬間を前に、日本語訳をつけて、「焼き場の前に立つ少年」のカードを全国の教会に配布しました。

 

 広島の「原爆の子の像」にもユニークなエピソードがあるのを知りました。以下は広島市のホームページからの引用です。

 

「佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。

 

禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。」

 

 この「原爆の子の像」を作ろうという運動を始めたのは、禎子ちゃんの同級生の8人の子供たちでした。はじめは、禎子ちゃんのために何かしたいと考えました。次に、原爆で亡くなったすべての友達のために記念の像を建てようと広がっていきました。そして出来上がった「原爆の子の像」の下の石碑にみんなの叫び、祈りを刻みました。

 

 

これはぼくらの叫びです

 

これは私たちの祈りです

 

世界に平和をきずくための