黙想会に参加して ―祈る心を新たに―

 今年の北海道地区のフランシスコ会の黙想会が札幌の花川修道院で行われました。指導司祭はサレジオ会の管区長で、新しくさいたま教区の司教に選ばれた山野内神父様。1955年大分生まれで、10歳の時アルゼンチンに家族とともに移住。14歳でサレジオ会に入会、伝統的なカトリックの教えを学ぶとともに、第二バチカン公会議の新しい風も受けて1984年、29歳で司祭に叙階された。サレジオ会の要理教育を担当し、さらに修練長や首都ブエノスアイレスの院長などを歴任されていました。
1997年日本に帰国後も、調布サレジオ神学院長と四谷修道院長。2010年から副管区長と2014年から現在まで、日本管区長を務められ、そして6月にフランシスコ教皇から、さいたま教区長の任命を受けられた。その後も青年たちをエルサレム巡礼に連れて行かれたりで、そういう超・忙しい日程の中で私たちの黙想会を「昨年からの約束なので」と引き受けて下さったのは本当に有り難いことでした。
山野内司教様はご自分の数奇な召命の歴史、その実体験を通して、私たちの召命の歩みを振り返る時を示してくださいました。神は家族との関わり、人々との出会い、節目節目となった出来事のなかで私たちを照らし、導いて下さるいつくしみ深い方であることを分かり易く話してくださいました。
 この黙想会の三日目に地震があり、停電と断水に見舞われましたが、美しい星空を仰ぎ見、ローソクを灯して食事などを共にできたのは貴重な体験となりました。それはただ日常生活の在り方だけでなく、これまでの私の霊的生活をもう一度見直す良いきっかけともなりました。
フランシスコ会では義務として唱えなければならない「教会の祈り」(聖務日課)があります。共同で唱える「朝・晩の祈り」をはじめ、個人で唱える「昼の祈り」、「寝る前の祈り」と「朗読課の祈り」。カルメル会など観想修道会には、この他に「6時課」と「9時課」があり、文字通り1日に7回、神に祈りをささげています。そのほかに毎朝のミサがあり、個人的信心として毎日ロザリオ唱える兄弟達も多くいます。
しかし、祈りの回数や量が多ければ良いわけではないのは言うまでもありませんが、現実にはただ唱えるだけで、心が伴ってない口先だけの祈りだったり、雑念に心を奪われていたり、また一人で祈るときなどは、つい早く唱えて終わらせてしまったりと、はなはだ誠実さに欠ける中身のない祈りになっていました。
 どうしたら、心のこもった誠実な祈りを捧げることができるのでしょうか?いくつかの「み言葉」の中に、照らしと導きを見出せたように思いました。「二人また、三人が私の名によって集まっている所には、私もその中にいる」(マタイ18,20)。一人で祈るときには、「あなたは、祈る時、隠れた所におられるあなたの父にいのりなさい。そうすれば、隠れた行いをご覧になるあなたの父が報いてくださる」(マタイ6,6)。
祈りの時に、いつくしみ深い父と子と聖霊の神は、愛情をこめて、いつも共にいてくださる。だから、このことに気づき、焦らずに心を込めて、愛と信頼と忍耐をもって祈るように心がけると、新しい祈りの体験、神との親しい交わりを味わえるようになると思っています。